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土木じゃないドボク #009
2007 / 06 / 06 ( Wed )
20070607050014.jpg


「キミの知らないみちで」
文:さとうたかとし 絵:しんざきゆき
発行:社団法人建設コンサルタンツ協会関東支部
建設コンサルタンツ協会関東支部HPより無料ダウンロード可能
http://www.jcca-kt.jp/ehon/ehon.pdf


建設コンサルタンツ協会が絵本をつくりました。
建設コンサルタンツとは、土木にかんする、調査・計画・設計等のしごとをする人です。
絵本の発行趣旨は次のように書かれています。

これからの社会を担って行く小学校の中・高学年生のみなさんに ”みち”や”まち”のことをいろいろ考えてほしいという思いから広報絵本「キミの知らないみちで」を作りました。
みなさんに、この絵本の中で登場する時夫のような「主役」になってもらって、ひとみやアイから出された”大きな宿題”を、私たちといっしょに、夢を持って考えて行っていただければ、これに勝る喜びはありません。

ストーリーは、学校で「お父さん、お母さんの仕事」について作文の宿題を与えられた『時夫』君が、お父さんの仕事(=建設コンサルタント(道路部門)=道路を設計する仕事)を考えるために、転校生の力を借りて、道路の使われ方について簡単な歴史を通して学び、その今後のあり方を考える、という感じです。
話の進行は「時夫」の道路に対する質問をつうじて行われている。
長いですがそれらを順に列記してみると、

「ほんじんってなに?」
→本陣は参勤交代の時に大名が泊まる宿。江戸時代の道路整備は参勤交代の交通により発展した。また大名を迎えるために定期的に周辺住民が道の維持管理を行っていた。

「月明かりってこんなに明るいんだ」
→むかしは街灯もなく夜の道は暗かった

(渡し舟に乗って)「みんな何をかついでいるんだろう」
「でもどうしてこの川には橋がかかっていないんだろう。これじゃあ不便だし、危ないよぉ」
「なんでわざと、橋をつくらないんだよぉ」
「でも何で橋をかけないのかな。やっぱりあぶないよ」
→江戸時代は国防のため、敵の進行を容易にする橋は、大きな河川にはかけられなかった。

「みちがちゃんとできたおかげで、全国のおとのさまからまちの人まで、たくさんの人が旅行できるようになったのか」
「だからみちは途切れることなく、まちとまちを結び続けているんだね。じゃあ、これからいくみちも江戸に続いているのかな」
→江戸時代、全国的に道路が整備され、人・物の交通が容易になり、情報も流通するようになった。

「おみこしが出る祭りなの?」
「祭!市(いち)!!」
「市ってすごいな。活気があって、いろんなものを売っているんだね。でもほかにスーパーマーケットみたいなところはあるんでしょ。」
→街路は、むかし市の出る場としての機能ももっていた。ひとの交流(であい)がなされるところであった。

(迷い込んだトンネルについてレンガ造だとの説明をうけて)「レンガぁ?」
→トンネルを掘ったあと、土が落ちてこないように、レンガで保護をしていた。いまは主にコンクリートを吹き付けたり、コンクリート版を積み重ねて保護している

(ガス灯を見て)「電気じゃないんだ」
→明治時代は道路照明はガスによっていた。

「みちがあるのに、なんでわざわざ高速道路をつくるんだよ」
→高速道路の整備による効果は、単純に所要時間が短縮される、物流が容易になることで地場産地の活性化につながる、観光客が増加する、工場の進出などで新たな産業が振興される、それにともなう人口増も期待できる、などがある

(SF映画のような近未来都市を見て)「たしかにこのまちには猫がいる場所なんてどこにもないかもしれない」
→自然環境保護と道路(都市)建設は背反するので、解決すべき課題が多い。

そして最後に
「どんな、みちが、まちがいいか、これからずっと、ゆっくり考えて」
と、問いを投げかけておわる。

最後の問いにいたるまでは、一問一答式で、
道路についての知識が提供される。
そして、その知識をもとに「いい土木施設とはなにか」
という問題を考えさせる、という形。
基本的事項を知識として提供して、応用問題を解かせる。
参考書に良くある感じかと。

とはいえ、まち、みち、みなとといった土木が対象とする
個別具体的な構造物について、どんな土木構造物がいい(わるい)か、
について考えても、たいした答えはでてこないと思う。
そこでの(正しい)答えは、利便性が向上するとか、
自然と調和しているとか、経済性が高いとか、産業の発展を促す、
といった現代的に合理性のある答えしか出てきようがないから。
だから、最後の問いかけが求めているものは、
要件に対する具体的な形でしかない。

利便性とか自然調和的とか持続可能性とか経済性といった
社会が与える要件に対応する社会基盤施設を実現可能な形におとしこむ、
という作業は、この本をつくった建設コンサルタントの主要な仕事だ。
こどもの夢でもなんでもない。

仕事をするうえで、コンサルタントの仕事(というか、どんな仕事でも)は、
(困難ではあるにしても)解決可能な課題を設定して、
それを解決する、というものだ。
「道とは何か」、「人はなぜ交流するのか」、
「公共性とは」などというような答えの出ない問いを
基本にしていては、仕事にはならない。


自分にあてがわれた課題と同じような問いかけを、
子供に向けてする。
そして、その答えを理想的(と作者が考えている)
土木構造物の姿と同一視させるように誘導する。
これは、いったいどういうことか?
われわれはこのように難しい課題に対して日々考え、
解決しているのだ、ということを理解して欲しい、
ということなんだろうか?

たぶんそうなんだとおもう。

なぜなら時夫が連れてこられた旅の最後に、
こんなことを叫んでいる。

「なんで宿題のためにこんな思いまでしなきゃならないんだよっ」

そう、建設コンサルタントのお父さんとお母さんは、
日々つらい思いをして仕事をしているのです。
・・・・・
・・・・・
・・・・・
ということで、そんな仕事の愚痴を子供に聞かせても
いいんだろうか。
そんなことで、「小学校の中・高学年生のみなさんに
”みち”や”まち”のことをいろいろ考えてほしい」
という希望がかなうのか。
逆に「なんでそんなつらいことをかんがえなきゃいけないのか」
とか反論されそうで心配だ。

で、この本では、答えるのが可能な質問を選択して挙げ、
それを専門家風ではなく子供向けに噛み砕いた表現で説明しているだけに見える。
この構成は、自治体や国土交通省などが道路を作るときに
地元説明のためにつくるパンフレットと同じです。
そのようなパンフレットでは、たとえば、
「道路整備による時間短縮効果は」、
「産業発展に寄与する程度は」といった計量可能な、
かつポジティブな回答が可能な問いを用意する。
そして、それに答えることをもって、
道路をつくる理由とします。

もちろん、そういった類のパンフレットが
面白いことはないです。
なぜなら、書いてあることは、「わかっていること」
だからです。
わかっているというのは、専門家レベルでなくてよくて、
「まぁ、だいたいわかるけどさ」ということで、
「だから、なんで道が必要なのか、なんかもっと本質的なとこが知りたい」
というところは素通りしてしまってからだと思う。
専門家が素人に説明できる問いじたいは、
なんとなく知っていることでしかない。
だって、広い道が新しくできれば、
どっかにいく時間が短くなることや、
大型ショッピングセンターが出店するかもくらい、
想像つくし。
パンフレットでの説明責任は果たされるのだろうけど、
でも、それは、読んで面白いものではない。

なにが読んで面白いものかというのは難しい。
ただ、入門書としては、とりあえず、
なんとなくわかることを専門化ふうに詳説してもらってもしかたがない。
知識をひけらかされてるだけな気分になって鼻につくか、
自分には関係ないやと思って眠くなるもんでしょう。

例えば、日本では、奈良時代くらいだったか、
中国を真似て、全国的な道路整備網を推進しようとしたことがあった。
でも結局、縄文の昔から中心的な交通手段だった船運が、
やっぱり船のほうが便利だったのか、山賊などで安全に問題があったのか、
道路はあまり使われず、廃れてしまった、らしい。
だからといって、別に日本各地の交流は廃れたわけでもない。道が廃れても、むしろより活発に発展していった。
つまり、地域間の交流とか産業の発展は道路には限る必要はなく、
交通手段は問われない。

いや、現代は自動車交通が中心だから、
おもに交通=道路でいいでしょ、とかはあるだろうけど、
そうではなくて。
重要なのは、どういう交通手段にせよ、新石器(縄文)時代から、
離れた地域どうし、共同体どうしの交流はなされていた、
ということではないかと。
道路があるから交流が促されるのではなく、
交流を求める無意識的な欲求が道路を整備させる、
という方向で話が進んでいるはずなのだ。
まぁあたりまえか。

「みちってなんの役に立ってるの?」から始まって、
それを概説し、「ということで、いいみちってどんなものか一緒に考えましょう」
といわれても、粗雑な進歩史観的に、現在と将来の道を位置づけることしかできない気がする。
だって、そういうのは結局、単に各スペックの向上しかもたらさないから。

みち=交流の基本になるもの、として位置づけるのなら、
「交流とは」「共同体とは」とか、そんなにラジカルじゃなくても、
せめて「人がたびにでる理由」とかあたりから始めていって、
はじめて、「どんなみち、どんなまちがいいか」ということを、
これからの世代の人たちと考える土台を用意することができるんじゃないかと思うのですが、
どうでしょう。

ということで、このblogを書くうえで、
微妙な足かせを作ってる気がしますが、まぁそれはそれとして。

laud 金谷健太郎
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