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「悪い景観」を選ぶ理由
2006 / 05 / 29 ( Mon )
日曜(5/28付)の朝日新聞朝刊に「悪い景観100選」の記事が掲載されていました。
http://www.utsukushii-keikan.net/10_worst100/worst.html
これは、「美しい景観を創る会(代表:伊藤滋早稲田大学特命教授)」が行なっているもので、会のメンバーは著名な学識者、有識者で構成されています。
この会の存在や活動は、以前よりなんとなくは知っていました。もちろん「悪い景観100選」のことも。

で、この「100選」、「悪い景観」を100選ぶことに対して何とも言えない「違和感」を感じてました。ざっとホームページを拝見したところ、景観を勉強してきた者であれば、おそらく「そりゃそうだ」と思う内容が並んでいます。
一般論として「どういった景観が良いか」「どっちの方が良い景観か」という話であれば、
おそらくその評価は概ね一方に寄る気がします。ただ、一般論の「良い景観」と実存する「景観」をどうにかする行為との間に、意識や価値観の大きなギャップがあったことが、これまでの景観論で述べていなかった(欠けてた)ことでは無いかと、個人的には思っています。

挙げられていた「悪い景観」の中には、日本橋の上の首都高、銀座の某ドラッグストアの看板、具体的に持ち主が分かる看板等々。中には、具体的な建築物に対して批評を行なっている物もありました。そこまで対象に入れるならば、もっとひどい建築はたくさんあると思うんですが。ボクは風景の構成要素としての建築について、blog でも書こうと思っていたのですが、選ばれている建築よりも風景に対して影響を及ぼしている「建築家が作った建築」ってあると思います。
突き詰めると、「建築」を作ることと「風景」をつくることがつながっていることはあまり意識されていないことが多い、ということ。また、「建築」をつくることに対する社会(作り手を含む)が持つ意識・価値感としては、芸術に近い感覚として許容されている、ということ。作り手、受け手ともに、会が言わんとしている本質には意識レベルで届いていないとも言えるかもしれません。このことは、“どっちの建築が良くてどっちの建築が悪い”というレベルの話では無く、“何を目指すためにはどういうことをしていかなければいけない”と言う本質的な話です。目指す物が“風景”でなく、“新しい建築(思想)”であれば、それはそれで否定する物ではありません。(個人的にはそういう価値観で作られた建築の中で好きな物もありますし。)

話がそれましたが、「目指す物」「価値観」といったものにバラつきがある中で、風景は成り立っています。どうやってその「価値観」に折り合いを付けながら風景をつくり上げていくか、が大切なんだと思います。
そう考えている人間にとっては、「悪い景観」を選ぶ理由、「悪い」と言い切る理由が分かりません。なぜ、こういった取り組みが行われたかについては、分からないわけではありません。あの会だからこそできることであり、あの会だからこそ効果があること。これは誰かが言わなければならなかったと言うことは理解してます。
ただ、その表現の仕方には、ただ「違和感」を覚えるばかりです。

たぶん、ボク達が「オレ土木」で話してる対象は間違いなく「悪い景観100選」と同類と言われるでしょう。でも、ボク達が言いたいことはこうです。

“ある側面、ある主観、ある価値観だけでそれを「悪い」というのは簡単だけど、そうじゃない価値観で受け入れられている物、風景だって存在していることは事実。それを読み解いた上で、「公」である街や風景を考えていく時に何を大切にしなければいけないのか。そのことを皆が考えるきっかけを作りたい。”


laud miyota
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